前略、台北より。

MOTOR-MANの日記です。

24歳で育児に参加してみたら、『コログ』になっちゃった話

「もう疲れちゃって 全然動けなくてェ・・・」

 

みなさんは、この「コログ」というキャラクターをご存じでしょうか。「ゼルダの伝説」シリーズに登場するキャラクターで、最新作「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」では、各地で友達に置いてけぼりにされた際に上記のセリフを発しています。このコログをうまく友達のところにもっていくとアイテムがもらえる、というのがミニゲームとしてあるのですが、大体のプレイヤーは途中からめんどくさくなって放置するか変な遊びに使うようになります。

そんなわけで、いつも各地で疲れ果てているコログですが、ここ数日に育児に参加した結果、見事に「もう疲れちゃって 全然動けなくてェ・・・」という状態になったので、そのレポや感じたことを書かせていただきます。駄文ですが、よろしければ最後までお読みいただければ幸いです。

 

  • きっかけ

私には10歳ほど歳の離れた現在海外在住の兄がいます。兄は数年前に結婚し、四年前と一年前にそれぞれ男の子を迎えました。そんなわけで兄は絶賛育児中なのですが、その兄と子供たちが8月下旬に実家の方に帰省することとなり、実家で親の脛をしゃぶりまくっている私は兄の育児の手伝いをすることとなったのです。

(※ニートしてるわけではなく、大学卒業が6月で入社が来年4月なだけです。)

実家の方に帰省するのはおよそ一週間で、その間兄の奥さんは仕事の関係で東京の方に行くこととなり、兄・私の両親・私の四人で四歳と一歳の男の子2人の面倒を見ることとなったのです。

私は数年間台湾に住んでいたこともあって、四歳の子は三年前に一度会ったっきりで一歳の子は初対面という状況でした。まあ四歳の子は三年前に一度会ったことがある、と言っても要するにその時は一歳なわけですから、「まあ覚えてないだろうし、実質両方とも初対面だなあ・・・」「懐いてもらえるかなあ・・・」ということばかりを心配していました。私自身子どもは好きなのですが、子どもに嫌われたらどうしようもないですからね。

そんな感情ではありましたが、四歳の子が私同様鉄道好きでプラレール好きということを聞き、我が家に十年間眠っていたプラレールを整備して対面の時を迎えたわけです。

 

  • 怒涛の日々・・・

いよいよ対面の時を迎え、一週間の本格的な育児が始まりました。

そしてまず最初に気づいたことですが・・・とにかく元気。深夜に飛行機に乗って朝に着くフライトだったはずなのに、四歳の子は実家に向かう車の中でずーーーっと喋っています。さすがに一歳の子は寝ていましたが。確かに兄から電話などで「とにかく元気だよー」とは聞いてました。しかし、本当にここまでとは・・・。

この元気さを思い知らされたのはその翌日と翌々日のこと。翌日はまず午前中に近くの大きな公園の屋外プールに行って一緒に遊んだのですが、まあ当然大はしゃぎで遊ぶわけです。そして昼前に人も多くなり疲れもしたので「そろそろ帰るかー」と言って帰宅し、シャワーを浴びて着替えた後、「疲れたからひと眠りでもしたいなあ」だなんて思うわけです。そんな時に四歳の子はこう言いました。

「お兄ちゃん!!!プラレールしよーーーー!!!!!」

満面の笑みです。屈託なんて全くない。

「いいよーーー」と言いつつ、内心「うせやろ・・・」と思ってました。しかし、思い返せばこれはまだ序の口で、もっとすごかったのはさらにその翌日のことです。

先述しましたが、甥っ子は私同様鉄道好きで、プラレールで遊ぶのが大好きです。実は、過去にプラレールを送ったりもしました。それならば、と同じ鉄道好きの身として「電車に乗って鉄道博物館に連れて行ってやれば、さぞかし喜ぶのではないか?」と考えました。私の実家は佐賀県にあり、その近辺にある鉄道博物館といえば九州鉄道記念館です。片道2時間くらいかかる旅程ではありますが、ルート次第では特急や新幹線に乗れますし、海外生活で電車にあまり乗れてなかったであろう甥っ子には喜んでもらえるのではないか・・・そう思い、計画しました。

しかしはっきりと言いましょう、「見通しが甘かった」と。

翌日、佐賀駅であらかじめ予約していたきっぷを受け取って特急と新幹線に乗り、九州鉄道記念館の最寄り駅である門司港駅を目指しました。その時一緒にいたのは、私・兄・私の父・四歳の子・一歳の子の5人で、大人3人で子供2人を見る体制です。これだけいれば、まあ自分に何かあっても大丈夫だろうし、疲れもそこまでないだろうと思っていました。この時までは。

私は物心ついたときから電車が好きなのですが、そんな私は幼い頃電車に乗ると必ず「黙って席に座って景色を見ていた」のです。私の記憶でもそうですし、両親の思い出話でもそのようです。そんなわけで、私の中に「電車が好きならば、電車の中でなら大人しくして落ち着いて楽しんでくれる」という思い込みがありました。しかし、これはどうやら私だけの事例のようで、結果から言えば甥っ子が電車の中で落ち着くことはなく、むしろ真逆でした。

まず始まったのは「テーブルをどれだけ静かにしまえるかゲーム」です。具体的にどういうことかと言うと、特急や新幹線に乗ると飲食などを行うために弁当や飲み物を置くテーブルがありますが、これをどれだけ音を立てずに定位置に戻せるか?というものです。大人なら30秒で飽きそうなゲームなのですが、幼児がこれをやると一時間くらい続くのです。一時間です。飽きずにずっとやってました。「いや飽きろよ」と内心ずっと思っていましたが、飽きる気配はゼロです。最初は「甥っ子に勝たせてあげよう」と思ってわざと音を立ててたりしましたが、これが20分くらい続くとものすごく面倒になって、もう本気で音立てないようになりました。とにかく終わらせたいので。

ようやくそのゲームに飽きてくれると、その次に始まるのはマジカルバナナやしりとりです。これが残り時間ずっと続きました。こういった言葉遊びが大人とかならまだ全然いいのですが、相手は四歳の幼児なのでその子が知っている語彙に限りがあります。つまり、マジカルバナナやしりとりをしつつ、「この子はどの言葉なら知ってるんだ?」という探りがあります。要するに、思いついた言葉を言っても「なにそれ」と言われ、別の簡単な四歳が知ってそうな言葉を出す必要があるのです。こうなると、ただのマジカルバナナやしりとりでも頭をひたすら回転させないといけません。人生でここまで頭を使ったマジカルバナナとしりとりは初めてだったと思います。

自分も何とかして休みたいので、「ほら電車速いねえ、お外見てごらん」とか「落ち着いて座ってるといいことあるよお」とか言って、なんとか落ち着かせようとするのですが、それで子供が落ち着くのは30秒程度のものですぐに「ねーねーマジカルバナナしよー!!!」の一言が発せられるのです。途中頭をぶつけて大泣きしたので、そのことを利用して「そんなに動いてるとまた頭ぶつけるよ」とかも言ってみましたが、まあなんの効き目もないです。

乗り換え時もまた大変で、子供にとっては見るものすべてが新鮮なわけですから、走り回って色んなところに行きたがるし、階段を上り下りしたがるし、黄色い線超えようとするし・・・で、目が離せません。特に大変だったのは兄が仕事の電話で父が喫煙で双方一時離脱した時、一歳の子は大泣きし始め、四歳の子が走り回ってどこかに置かれていたぬいぐるみを取ってきたのです。一歳の子は落ち着かせないといけないし、四歳の子は変なところに行かせないようにしつつぬいぐるみを返させないといけないし、「え?どっちから対応すればいいの?」となったのです。「しっちゃかめっちゃか」という言葉はこの時のためにあったものだと思います。最終的に、兄をむりやり巻き込む形で解決を図ったような覚えがあります。

最寄り駅から門司港駅に至るまで片道2時間、往復で4時間ありましたが、これがずっと続きました。自分は電車の旅は落ち着いていてものすごく好きなのですが、ここまで落ち着きも楽しむ隙も無かった電車旅は初めてです。

大変なのは到着してからもそうです。移動の際には前触れもなく「おしっこもれそう・・・」と言い出すし、食事中はずっと横でしゃべっているし、博物館の中では大興奮で四方八方を走りつくすのです。「あと10分したらジオラマの運転ショーが始まるから大人しくしててねー」と言っても聞くわけがなく、「あそこでプラレールしたい!!!」といってキッズスペースに全力で走り出す始末。かといってショーが始まれば落ち着くわけがなく、そこらへんで飛び回っています。もう止める気力も湧かないほどでした。朝から夕方帰宅するまでそんな感じで、これまでで経験したことのないような疲れが身を襲い、「体がいくつあっても足りやしない」というワードが常に脳裏にありました。

せめてもの救いは夜8時過ぎには寝てくれることだったでしょうか。それでも絵本3冊の読み聞かせをお願いされましたけど・・・。(4冊読み聞かせました)

 

  • そしてコログへ

翌日の朝です。朝6時半くらいに「昨日同様」一歳の子の泣き声と四歳の子の話し声で目が覚めました。「・・・朝から元気よのお」と思って体を起こそうとしますが、起きません。

あまりの疲労で、体が思い通りに動かないのです。

頭は完全に覚醒して目覚めていましたが、体はその真逆。まるで金縛りにあっているかのようです。その時に思ったのです、「ああ、これがあの時のコログかあ・・・」と。まさに「もう疲れちゃって 全然動けなくてェ・・・」の状態なのです。そしてこれまでゲームをプレイするたびに、コログをいじめてきたことを激しく後悔しました。ごめんなあ・・・。

そしてこの時、同時に「リビングに行きたくねえ」とも思いました。このまま二度寝して泣き声を聞いていないことにしたい、まだ寝ていることにして育児に参加しに行きたくないと思ったのです。なぜなら、この体でまともにできるわけないとうのと「また『アレ』を一日相手に・・・?」という恐怖の感情が湧いていたからです。つまり、起きたことにしたくなかった。せめてもの時間稼ぎをしたかった。大変情けない話ですが、この時の私はそう思ったのです。

しかし眠れるわけがありませんでした。聞いたところによれば、赤ちゃんの泣き声というのは必ず人が不快に感じるようになっているそうです。そうでなければ、親が起きず対応できないからということだそうで。二度寝を幾度となく試みますが、そんな環境下で頭と体が休まるはずはなく、数十分して無理やり体を起こしました。その足で台所に置いてあるニンニク卵黄・ビタミンC錠剤・黒酢・コーヒーをがぶ飲みし、無理やり精力確保して育児に向かいました。こういったことはこの日以降、育児が終わるまで毎日続きました。

しかし結果からして、こんなことをしても徒労にすぎませんでした。体力ゲージが10%しかない状態からモノの力で無理やり20%に戻したところで、一時間くらい子どもの相手をすればその10%は消えてしまいます。目の前にいる子どもは確かにかわいいのです。そのつぶらな瞳や子どもらしさは「かわいいなあ」と思わざるを得ません。しかし、同時にしんどいのです。その声を聴くことや相手をしてあげることが。子どもは朝起きてから夜寝るまで同じテンションでずっと元気です。これをまともに相手していると、体力が全く持たないのです。あの体力は本当にどこから来るのでしょう?本当に分けてほしいくらいです。

それと同時に、だんだんとイライラするようになりました。いくら注意しても危ないことはしようとするし、走り回るし、兄弟喧嘩はするし、大人しくしてくれないし・・・自分が怒鳴り声を上げようとしてそれを喉元で飲みこむことが何回かありましたし、実際強く言って泣かせてしまって「情けない大人だなあ・・・」思うこともありました。よくショッピングモールなどで自分の子供に強く言う母親を見かけ、そのたびに「あそこまで強く言わなくていいのに」と思っていたのですが、今ならその気持ちがわかります。確かに強く言いたくなるし、怒鳴って「しまう」。決して怒って泣かせたいとかじゃないけども、あまりに思い通りに行かずにこうなってしまう。その気持ちが大変理解できます。

この日以降、私は一日のうちに何回か子ども二人が行かない部屋に行って横になるようになりました。これはあまりにきつそうな私を見た母親の配慮で、こうでもしないと体と精神がもたないことを察してくれたのです。体は疲労で常にフラフラな状態で、精神は今にも何かが切れそう。育児に参加した期間のうち、半分はこんな感じでした。私は幼い頃から喉が弱いのですが、この期間で疲労で体の免疫力が落ちたのか、喉が若干痛くなりました。(育児が終わって疲労が回復し始めたら治ってきました。)

こうして「コログ」の状態で数日間ずっと育児に参加した私ですが、その時に思っていたのは「早く寝てくれ・・・」「疲れて寝てくれないか・・・」ということ。一歳の子はお昼になると数時間寝てくれるのでまだいいのですが、四歳の子はお昼寝は全くせずに朝から晩までずっと元気なので、どこかで隙を見て休まないと体を休める期間がどこにもないのです。いくら可愛いと思っていても、その可愛さにつきあう体と心の余裕が出来ないのです。

せめてもの救いは先ほども言った通り、夜8時過ぎには寝てくれることで、そこでようやくひと段落でき、自分の時間が作れるのです。しかし、朝から疲れ果てている私に自分の時間を趣味等に費やすことなどできるわけがなく、そのまま疲れ果てて寝る毎日でした。

この状態になってからというもの、せめて子どもの前では疲れを見せないようにと笑顔でふるまい、およそ3日ほど育児に参加しました。最終日は昼頃に兄一家が私の父が運転する車で母方の実家へ向かい、子どもたちとお別れしたのですが、そのお別れが終わった瞬間に倒れるようにしてソファにもたれかかったのを覚えています。

 

  • 育児参加して思ったこと

まず、およそ一週間の育児参加で思ったことは「『かわいい』と『しんどい』は両立しうる」ということ。自分は育児参加する前、「まあ子ども好きだし、かわいいし、大偉丈夫でしょ!」くらいに思っていました。しかし、育児はこの「子どもかわいい」とか「子ども好き」とかそういうものでどうにかなるものではないのです。確かに目の前にいる子供はすごくかわいい。でも、その子供に体力と心がついていかず、すごくしんどい。「かわいくて癒される~」とか、そんなことはないのです。Twitterを見ていると「育児辛い」とかそういうレポ漫画をよく見かけますが、これまでの自分は「自分の子供なのにそこまでイラついたりするもんなんか・・・?」などという思いがありました。しかし、実際に育児を体験してみると「なるほど、こういうことか・・・」と思わざるを得ませんでした。

そして、昨今の育児についての社会の動きに納得も出来ました。これほど大変なことを女性一人でやる、というのは間違いなく大変です。特に女性の社会進出が進む昨今において、女性だけが仕事に加えて育児もやる・・・だなんてことは間違いなく無理で、間違いなく夫の協力が必要不可欠だと感じました。いや、協力というより共同作業にすべきとでも言いましょうか・・・。道理で、昨今で男性の育休取得が普及しつつあるわけだと納得しました。というより、むしろ男性の育休取得が始まる前、女性はどうやって子育てしていたんでしょう?これを全部一人でしていたんでしょうか・・・?これを全部・・・?絶対病むじゃない・・・。そう考えると、もしかしたら男性の育休取得の普及は遅いくらいではないかとすら思います。

それに、たまにTwitterとかで「てめえが産んだわけじゃないんだから、男性の育休とか甘え」みたいな話をみかけますが、ほならね、お前一回一日でいいから育児やってみろと、これを十数年間365日無休無給でやらないといけないと考えてみろと、私はそう言いたいのです。もし自分が専業主夫として毎日家事と育児をやっているとして、パートナーが平日は全く家事にも育児にも参加せず、休日は昼に起きてきてただただ酒飲んでテレビ見て寝るだけだったら・・・まあキレ散らかしてるでしょう。毎日疲れ果てた上に自分の時間なんてものはなく、毎日目の前のことに必死なのに、パートナーがただただ悠然と過ごしていたら、一ヶ月くらいで大いにキレて離婚とかする自信があります。確かにパートナーの方も仕事で疲れているし稼いできているのは確かです。でも専業主夫だからといって楽しているかというと、全くそんなことはない。こちらもまた戦いで、しかも自分の方は無休かつ無給ですから。そりゃあ怒るでしょうし、「なんで手伝わんのじゃてめえは、ハッ倒したろか」くらいの感情が起こるのはいたって当然です。そういうツイートを見て女性を叩く人をTwitterで見かけますが、育児をやってみて、そういう人は本当に何もわかっていないのだと、そして女性がそういう風に怒るのは必然であると理解しました。

そういえば以前、検討大好き総理が「男性育休期間中の資格取得」とかいう戯言をほざいていたのですが、これははっきり無理だと実感しました。実は、私は来年4月から入社する会社の都合で秋に資格試験を控えており、現在勉強の真っ最中です。そのうえ、育児参加期間中に会社主催の模試があり、隙を見つけてその資格試験勉強と模試受験をする必要がありました。当初は「まあ夜は自分の時間になるし大丈夫でしょ」と思っていましたが、結果としてそんなことはなく、あまりに疲れ果てて勉強するにも頭は回らないし、模試受験の際もリポビタンDやらを飲んで気力回復を図りましたが、正答率は半分を下回る結果でした。以前は正答率が8割近くあった試験なのに、です。こんな状態になりうるものなのに、どうやって「育児しながら資格取得」なんてことができるでしょう?たった一週間育児をやってみただけでこうなって思うのですから、政治家や官僚には育児を全くしたことない人が多すぎるのではないかと思います。

そして他に思ったのが、保育士の給料についてです。Twitterなどでもよく「保育士の給料が低い!」という話題を目にします。保育士という仕事は「日中、数十人程度の幼児を預かって世話をする職業」で、言い換えれば「これほど元気な子供数十人の様子を見て、なおかつ危険なことをしないようずっと目を見張る職業」です。ええ。これを「数十人」ですよ。数十人。しかも数十人になったからといって数十倍になるわけでなく、相乗効果みたいなのがあって、子どもは集まれば集まるだけ一人当たりの騒がしさが増すのです。今回の育児体験でもそのようなことがあり、四歳の子と一歳の子のどちらか一人しかいない状況であればある程度コントロールできるくらいではあるのですが、両方揃ってしまうと、一歳の子が四歳の子が作った積木をお城を壊して四歳の子が泣き出したり、四歳の子が一歳の子にいたずらし始めたり、四歳の子がやった危ないことを一歳の子がやりだしたり、とまあ二人そろうとドラゴンボール孫悟空ベジータみたいに、騒がしさがフュージョンして何倍にも膨れ上がるのです。これが数十人規模なわけですから・・・まあもう・・・なんか想像したくないです。とにかく言えるのは、間違いなく骨が折れまくる職業なのに手取り14万とかそれくらいしか給料がない、ということ。絶対におかしい。多分手取り40万とか50万とか、それくらいじゃないと見合わない仕事ではないでしょうか。「子供を育てる」ということは間違いなく大変です。たった一週間でそう思わざるを得なくなるのです。保育士さんなんてどれほど大変な職業なのでしょうか・・・。

最後に思ったのは、親のすごさです。母親に「あの二人、元気ね・・・」と話しかけたところ、母親は「でも昔はあなたもああだったよ」と言われました。「すいませんでした・・・」というしかありませんでした。多分相当大変だったと思います。それでも、親は自分をここまで育ててくれたわけです。その陰には色んな苦労と犠牲があると思います。そしてもう一つ親のすごさを感じたのが、その仕事量。両親は育児と並行して、料理・洗濯・皿洗い・仕事といったことを平然とこなし、なおかつ子供のあやし方も非常にうまいのです。子供のあやし方については経験に裏打ちされたものだと思いますが、でもその育児と並行していくつもの家事をスピーディーにこなす姿に「ああ、すごいなあ・・・」と思わざるを得ませんでした。そして、育児だけでへばってしまった自分が情けなく感じました。「親になる」ということはこういうことなのかな、とそう痛感せざるを得ませんでした。「親は偉大」という言葉がありますが、この言葉を今身に染みて感じています。

 

  • おわりに

というわけで、自分が一週間育児に参加してみて体験したこと、感じたことを書き連ねてみました。見返してみると半分愚痴に見えるかもしれませんが、自分としてそんな悪いことだったとは思っていません。やはり、子どもは可愛いなあと思いましたし、実際やってみて楽しかった部分も多かったのです。最後あたりは子どもの扱いに慣れたところもありますし。四歳の子と一歳の子にはしっかり懐かれましたし、なんなら「一緒に寝よう」「お兄ちゃんの隣でごはん食べたい」って言われたくらいですから、に自分のやったことは悪くはなかったと思います。

でも、やはり育児は大変なのだと。自分が想像していた数十倍数百倍も大変なものなのだと。そう感じたので、今回こんな文章を書いてみました。

最後に、長々と駄文を読んでいただき、ありがとうございました。とりあえず、この数日はゆっくり過ごしつつ資格勉強をしたいと思います。

それでは、ご一読ありがとうございました。

 

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